本を読めば、
読解力が
つきますか?

本を読めば読解力がつくって言われたけど、

どんな本を読めばいいの?

何冊読めばいいの?

読んでも分からないところが多いのに、そのままでいいの?
    
続ける自信がないんですけど……。
 
ヒツジミクです。

スズコク押しです。
私はヒツジをつれて歩いています。

すると、「ヒツジをペットにしているのですね!なぜですか?」ってよく聞かれます。
 
イヌやネコをペットにしている人には「なぜイヌ(あるいはネコを)をペットにしているのですか?」という質問は向けられないと思います。
 
この質問の前提には、「ペットは、イヌやネコだ。」という固定観念があるように思います。
 
読解力をつけるためには、「本を読みなさい。」とか「新聞を読みなさい。」ということが言われますよね。

鈴木さんは、これも固定観念だと批判されていましたね。お考えをお聞かせください。
 
 鈴木さん!
 
鈴木アバターさーん!
 
あっ! はっ、はい!、

鈴木アバターです。

睡眠不足で居眠りしてました。

とつぜんよばれてびっくりしました。

もう頭は輝きをとりもどしましたので、大丈夫です。

さっそくお話ししましょう。
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固定観念とは、多くの人にとって「これはこうだ」と信じ込まれている考え方をいいますね。

固定観念があるから、私たちは社会で行う作業を自動化し、社会を安定化させることができます。

たとえば、「駅に行けば電車に乗れる」とか、「ラーメン屋に入ればラーメンが食べられる」とか、「学校は8:30から始まり4:30に終わる」とかいうのも一種の固定観念でしょう。

しかし、固定観念の中には、それを疑い打ち破らないと、進歩を妨げられるものもあると思います。

私は、読書は読解力をつける一つの方法だと思います。

ただし、それには条件・方法があります。

この条件・方法を、質問する人の具体的状況に即して考えないで、ただ「読書をしなさい」と答えるのは、アドバイスする側が、この社会の固定観念を受け売りしているに過ぎないのです。

それをそのまま受け入れるとすれば、受け入れる側も固定観念のわなにはまってしまったと言えます。

その条件・方法というのは、次の四点にまとめられます。

① まず、論説的な本あるいは説明的な本を選ぶこと。初心の人が取り組みやすいからです。また、論理を学びやすいからです。

② 次に、その論説的な本あるいは説明的な本は、自分の現在の読解レベルを少なくとも一段は超えていると思われること。つまり、すらすらと読み流せるような本ではないこと。

③ さらに、ロッキングチェアに揺られながら「趣味は読書です」という感じでリラックスして読むような読み方ではなく、分析・研究といったかなりの集中力と緊張を要する読み方をすること。

④ 最後に、小学生や中学生には(あるいは高校生にも)適切な指導がなされること。

1 下に続きます。
 
2 話をつづけます。
しかし、これは大半の小学生や中学生、(さらには、高校生)にとっては、未知の作業であり、精神力や体力面からしても、自力でやり遂げることはなかなか難しいと思います。
 
では、どうすればよいのでしょうか。

それは、受験の機会を利用し、適切な指導の下で、徹底的な読解のトレーニングをすることだと思います。
 
本を読むよりも、入試問題の文章を、問題を解きながら、徹底的に読み込むほうが効果的に読解力をつけることができると思います。

一般的な読書はそうして読解力をつけた後にすればよいのです。
 
読解力がないのに、「本を読めばよい」などというアドバイスを信じて、たとえば、推薦図書といわれるものを10冊買ってきて、ただ何となく(朝ドラを寝転んでみているような感覚で)読んでみても、何の効果もないでしょう。

結局、読解力をつけずに終わり、入試にも失敗するということになりかねないと思います。
 
実際、鈴木国語の生徒たちの保護者の方からは、読解力がついてきたら本を読むようになった、というお話を幾度も聞いています。
 
ちなみに、「本を読みなさい」という人たちは、どんな本をどのように読むべきかについてはほとんど説明しないように思います。また、その人たちは、どんな本をどのように読んできたのでしょうか。

もちろん「万巻読破」して万巻をそのまま理解できる人もごく少数はいるでしょうが、私が読解力をつけてほしいと思っている人たちは、そんな頭のいい人ではなく、苦労して力をつけるしかない人たちなのです。私も後者に含まれる人間です。
3 話をつづけます。
では、なぜこのような条件・方法を挙げるのでしょうか?
 
それは読解とはどのようなことなのかということに関係します。
 
読解とは、文章の内容を徹底的に分析し、論理的につじつまの合う結論を得ることです。
 
自分にとって難しい文章についてつじつまの合う理解に到達するためには、あれこれと考え、行ったりきたりしながら、何度も繰り返し読むという手間のかかる作業が必要になります。

これはただ文字を目でたどるというだけではなく、書き写してみる、分析図を書く、メモを取る、要約をしてみる、などの作業も含みます。

また、読解のための周辺知識として「近代社会」とは何か、その基本的なものの考え方は何か、近代社会はどんな問題に直面しているのか、などの歴史や哲学についても、その読解に必要な限度では調べて学ぶことが必要になります。
 
これらの面倒な作業をしているうちに、あるときその文章の言いたいことが、つじつまの合う形で自分の頭の中にイメージできるようになります。

この感じをたとえていえば、文章が透明になったように感じられる瞬間です。

これが読解という作業過程が完了した証です。

故事成語で「読書百篇意自ら通ず(どくしょ ひゃっぺん い おのずから つうず:難しい本でも何度も繰り返し読めば自然に理解できる)」というのも、これと同じ読解の完了状態を表していると思います。
 
こういう苦闘・試行錯誤・猛勉強の経験は、自分の論理力や分析力もレベルがアップさせることになります。
 
こうした経験に立ったうえで、小説を読み直してみると、その虚構を支えている論理のストラクチャーが見えるようになります。これは小説の一段深い読み方に到達することでもあります。
4 話をつづけます。
ついでに言えば、たとえば「ハリー・ポッター」を何冊読んでも、読解力をつけるという効果はほとんどないでしょう。具体的な事実が連続的に記述されているだけですから、その内容は漫画や映画のように容易にイメージできます。これは読解力、したがって、思考力の本質である論理のトレーニングにはならないからです。
 
また、「天声人語」を読めば読解力がつく、というのも初心の人には当てはまりません。初心の人が読解の基礎力をつけるには、もっと構成の明確な、内容のはっきりした論説文(説明文)を選んで、練習台にすべきです。「天声人語」は随筆的な性質を多分に持つ点と含蓄や示唆に富む点で、論理力の練習台としては不向きです。
 
 私は、これらの作品を否定しているわけでも、読むなといっているわけでもありません。初心の人が読解力を「つける」ための練習台としてはお勧めできないと言っているに過ぎません。

今回はここまでです。
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